2017年3月8日水曜日

自己啓発は気持ち悪い?

他人に自分のポリシーを押し付けるのは馬鹿のすることだ

はい。すみません。
それをこのブログでずっとやってます。
別に押し付けていませんけどもね。

自己啓発本って、読んでてつまらないものが多いですよね。
私、本当は自己啓発本とかって嫌いです。

だって、他人の成功の秘訣は参考にならない。
ただの自慢話なんですよ。
書き方が上手い人はヒントが織り交ぜられてたりするけども、
自分に援用できるかどうかはまた別の話し。

それだったら、失敗経験の話を聞いたほうが、
これしちゃダメなんだな、って分かっていいかもしれない。

そもそもね、自己啓発にはまっている人は、
ごく短期的に気持ち悪い感じになります。
それが問題かもしれません。

借りてきた言葉、コーチングしている人の考え、
読んだ本の言葉をそのまま、嬉々として話すわけです。
自分は「発見」をしたので、聞いて欲しいのです。
だから、聞いてもいないのに、その話をしようとするのです。

私もそんな感じなんです。
ただ、私はほうぼうにこんな話はしませんけどね。
でも、「言いたい欲求」があるから、
ブログにこっそり書いています。
チラシの裏の落書きですね。

自分の言葉で喋ることの重要さ

ま、私はともかくとして、
借りてきた言葉をそのまま話す人の特徴というのは、
言葉に魂が入っていないのでよくわかります。

引用文を自分のものとして使うためには、
それを常に体現している必要があります。
体現しているから、言葉に重みが増すのです。
言葉が軽い人、重みのある人、いるでしょう?

人間というのは難しいものです。
「賢者は歴史に学び、愚者は経験に倣う」
といいますが、
現実的には、経験値が高い人と低い人だと、
やはり深みが違うものだと思います。

でもね、経験経験っていうのは、
人間の尊厳がないな、と思うのです。
人間ってやっぱり「歴史を学ぶ事ができる」というのが、
特長だと思うのです。

経験を重視して話すると、
まあ、今だったら「老害」といわれてしまったりするでしょうね。
経験も踏まえつつ、多角的な視点や情報を整理した上で、
他人に喋れるようになったらいいな、と思います。

自己啓発、というのは何でもいっていることはよく似ています。
否定する人も多いと思います。
まあ、自分を自分で「啓発する」っていう考え自体が気色悪いですしね。

それをそのまま、スピーカーのように繰り返したりせずに、
体現できるようになれば、自己啓発も意味があるのかな、と思います。

できるだけ、論理的に整理して、勉強を怠らずに、
漸進的に実践していくことです。
必ずしも科学的である必要はありませんが、
絶対的に論理的である必要なあると思います。

何か一つの自己啓発の概念を盲信しないことです。


他人に惑わされてはいけない。他人は答えを持っていない


「自己啓発」というからには、あなただけのものであり、
他人の理解はいりません。
あんただけの「成功理論」があるのです。
他人に話す必要もありません。

黙々と、粛々とやるのです。
成果が上がっていれば、あなたに憧れる人が来ます。
インタビューがあったとき初めて喋れば良いのです。

自己啓発ってそういうものです。

私は、それを大きく逸脱して、
ブログで何か偉い人のように偉そうに
語っていますね。
ここに書いてきたことと真逆のことをしています。
読んだ本の書いていることをそのまま書いてみたり、
他人の主義主張を否定して「◯◯してはいけない」という断定で述べたり、
自分のポリシーを披瀝してみたり、
自分の成功理論を語って、自慢話をしてみたり。

恥ずかしいことです。
でも、私は私の結果を出すために、
このプロセスが必要と考えて、
自分で決めて行動しています。

いわばこれもまた、自己啓発、というわけです。

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